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メイクは、図画工作だ!新発見した、一重まぶたの思春期。

2022.05.23

今回の投稿者
サンセリテ編集室ライター
市村環

私の顔は、いわゆる地味顔です。ほぼ一重の細い目。小さな黒目。薄い眉。あるんだかないんだか分からない、短いまつ毛。彫りも薄い。典型的な東アジア系。あるいは弥生人顔。そんな顔と共に、24年間生活しています。

学生証の写真。目に光がありません。

「あ、私の顔の造りって地味なんだ」。そう気がついたのは、中学生の時でした。男の子みたいな格好で遊んでいた私もお年頃になり、レースのブラウスとチュールのスカートを親に買ってもらいました。家に帰って、すぐに全身鏡の前へ。甘い服を着る気恥ずかしさと、お人形さんのように可愛くなれる期待感に胸を躍らせながら身につけ、鏡を見ると…。「んん?」。鏡に映る自分の姿を見て、首を傾げました。服は期待通りに可愛い。髪もブラシでとかしてある。でもなぜか、パッとしない。イメージはもっと、美少女の誕生!って感じだったのに…。

問題はどこだろう。食い入るように鏡を見ながら考えます。髪型も体型も普通。となると、問題は顔か。とはいえ、鏡の中の自分の顔には思春期ニキビ以外、気になる部分は特にない。そこで、可愛いと言われている同級生を思い浮かべてみました。みんなに共通するのは、西洋人のようなぱっちり二重の大きな瞳に、長いまつ毛。しかし私の顔にはそのどれもがありません。「どうやら、私は美少女ではないらしい」。そんな切ない気づきを得た13歳でした。


浴衣やパンツスタイルのときは、友達に似合うと褒められます。でも華やかな顔立ちなら、パンツスタイルでもワンピースでも、どんな服でも似合うんだろうな…。そんなことを思いながら、月日は流れて高校生に。「化粧を覚えたい」と思う時期になりました。メイク雑誌と基礎的な化粧品を買って、見よう見まねで化粧をしますが、そもそも雑誌のモデルはみんなぱっちり二重とぷっくり涙袋。化粧を真似をしても、砂漠のように殺風景な私の顔では大した変化がありません。
そんな私が化粧の楽しさに目覚めたきっかけは、意外なところに。当時、キャラを描いてみたり、絵本を模写したり、絵を描くのが好きでした。とりわけ好きな作業は色塗りです。単色をベタッと塗る段階ではまだのっぺりしているのに、そこから影色を入れただけで、一気に立体的になる。色がついただけの平面が立ち上がっていく様子が好きだったのです。
その日、私は理想の顔であるオードリー・ヘップバーンを模写していました。デッサンに限らず、写実的な絵とは「線を描く」ものではなく「影を塗る」ものだなあ、と思って作業しています。そのためヘップバーンの顔も、「色を載せる作業」ではなく、「色で影を塗る作業」という認識で進めていきました。

そこで、ハタと気がつきました。「これって化粧に応用できるのでは?」。私はすぐに、化粧道具を持って洗面台へ。手持ちの化粧品で唯一影色になりそうな薄茶色のアイシャドウを、眉頭から鼻筋にかけて入れてみたところ…。「おお!パーツが出てきた!」。色が濃すぎて宝塚のような顔でしたが、今まで影が存在しなかった位置に影色を塗るだけで、顔の雰囲気がグッと変わったのです。
「化粧は絵だ!顔はキャンパスだったんだ!私は色をただ載せていただけで、塗っていなかったんだ!」
気がついた私は急いでドラッグストアへ行き、化粧道具…もとい、画材を沢山買いました。化粧ブラシを探し、自分の肌色に馴染むフェイスシャドウを吟味。まつ毛はつけまつ毛やマツエクでカバー。小さな黒目は、カラーコンタクトで透明感とサイズをプラス。のっぺりした目元には、涙袋を強調してメリハリを。二重は「描く」のではなく、二重の影を「塗る」ことで自然に目を強調。下まつ毛は細い線で描く。出したいところに光を、引っ込めたいところに影を塗って陰影を演出。薄い所は描く。無いものは作る。パーツは取り付ける。もはや、図画工作。
顔という名のキャンパスで図工を初めて7年。今はもう、服選びに迷うことはありません。どんな服を選んでも、顔を服に合わせればいい、と思っているからです。

半顔メイクをしてみました

その日の服装や、会う相手によって顔を変えるのはとっても楽しい。でも、毎日可愛いのは疲れる。普段は薄化粧で過ごして、ここぞという時だけバッチリ決めるようにしています。近年は美の多様化が進んで、一重や三白眼も素敵という風潮もあるので、私もたまに、三白眼や一重を生かすメイクをします。私にとってのメイクは自己実現であり、創作活動。最近は土台である、肌と、髪と、歯の手入れを意識しています。
私にとってコンプレックスは、得意を生み出すきっかけでした。恥ずかしいから。どうにかしたいから。ネガティブな理由でも、興味があると調べたくなる。調べたら、実践したくなる。それは全く知らない世界に足を踏み入れたり、珍しい経験をするきっかけです。顔立ちというコンプレックスがあったから、私は化粧やファッションの技術を伸ばすことができました。
先日、妹の成人式がありました。化粧にもファッションにも疎い妹に代わって、着物の選択からメイクまで、私が全てをプロデュース。「素敵!」と喜ぶ妹を見て、「やっててよかった」と心の底から思うことができました。こうして人の役に立てたのも、コンプレックスがあったから。「コンプレックス、万歳!」。これは、コンプレックスに向き合い続けたから言えることです。

この記事を書いた人

市村環

サンセリテ編集室ライター。栃木生まれ、栃木と島根育ち。マンガと映画と服飾が好き。実家はお寺ですが、煩悩の塊です。足のむくみが悩みで、風呂上がりのマッサージと就寝時の樹液シートが欠かせません。最近、歯科矯正を始めました。

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