人生交差点

プロバレー選手×小学校教師の人生。前編

2022.08.01

サッカー、野球、バスケットボール、卓球、ラグビー。日本にはいろんなスポーツのプロリーグがあります。今回ご紹介するのは、「V(バレーボール)リーグ」で活躍する、サフィルヴァ北海道の青島賢司選手。実は、現役選手でありながら、小学校教師でもあるという、変わった経歴の持ち主です。スポーツ選手と先生、どう両立させているの!?人生という試合にどう臨んでいるの?青島さん、教えてください!

サンセリテ編集室
インタビュアーのとやまです。今回ご登場いただくのは、「プロバレーボール選手」と「小学校教師」という2つの顔を持つ男、青島賢司さん。

「スポーツ選手×先生」という人生は珍しいかもしれません。でも、誰もがいろんな顔を持って生きている。2つどころじゃなく、3つ、4つの顔を持つ人だって、いますよね?

青島さんは、仲間想いで情に熱く、超がつくほどの負けず嫌い。だけど、熱血漢!というよりは、静かに密かに燃えたぎっているタイプの人。何より、どんな場面でも自分らしさを忘れない正直な人です。複数の顔を持っていても、気負わず、自分らしく生きる秘訣を、青島さん人生から紐解いていきたいと思います。

ヨイショされ、まんまとバレーの道へ。

バレーを始めたのは小学5年生のころ。最初は、サッカー少年団でキーパーをやっていたんです。でも、背がちっちゃかったので、背を伸ばしたいなと思って、バスケかバレーをやろうと。みんな背が高いじゃないですか。とりあえず同じ学年でバレーをやっている子が多かったので、見学へ行ってみたら、当時監督だった人に、すごいヨイショされたんですよね。「うまいね!センスあるね!」って。純粋な少年・青島はまんまとのせられて、即日、「バレーやる!」と(笑)。バレーの道に引き込んだその監督こそ、僕が所属する「サフィルヴァ北海道」の初代監督、芳賀先生。まさに恩師です。

北海道初のVチームを作ろう!

中学、高校、大学、そして教師として働き始めてからもずっとバレーボールを続けてきました。といっても大学卒業後はアマチュアとして、楽しく体を動かす程度。そんな僕がまさかプロ選手になるなんて思ってもみませんでした。

転機は、2016年。恩師の芳賀先生から、「北海道で初めてのVリーグチームを作ろう!チームに参加してくれないか?」と声をかけてもらったのです。そのとき僕は27、8歳。現役としてそろそろ終わりだな。だったら、現役最後に挑戦して終わりたい。そう思ったんです。

それからやっぱり、「北海道にVリーグに参画するプロチームを作る」という志に共感したんですよね。僕らが学生のころは本格的にバレーボールをやるなら高校や大学のときに北海道を出て、本州で活躍するのが当たり前だったから。ちっちゃい頃から身近にプロチームがあったらいいな、と漠然と思っていたんです。夢があるというか。後進育成のためにも大きな意味があると思いました。そんな想いで参画したチームこそ、現在、V2リーグに所属する「サフィルヴァ北海道」です。

サンセリテ札幌本社に来てくれた青島さん。黄色いチームカラーがお似合い。

スタートは、たった3人。

志高くスタートしたチームですが、最初はたった3人でした。2016年の11月ごろに動き出し、まず、試合ができなかった(笑)。初めて練習試合を開催できたのが、2017年の2月。Vリーグ参入にとって重要な北海道大会の、1ヶ月前でした。

メンバー集めは、ほぼ僕がやりましたね。当時は得体の知れないチームだったので(笑)、来てくれる人は多くなかった。それに、社会人のクラブチームに参加する人はだいたい趣味ですよね。時間があったら行く。ちょっとバレーをやりたいから行く。だからこっちも「Vリーグを目指すとまでは言わないから、とりあえずこの日の試合に出て。人がいなくて困っているからさ〜」と、騙し騙しお願いしていました(笑)。

無名から奇跡の優勝。Vリーグ参入へ。

そんな寄せ集めのメンバーで臨んだ、2017年の北海道大会。なんと奇跡的に優勝することができました。初出場のサフィルヴァ北海道が優勝するとは、誰も想像していなかったと思います。

北海道大会は、往年の名選手擁する『北海道クラブ』、大会直前に行われていた地域リーグ全国大会で全国優勝していた『IDF(ヴォレアス北海道の前身)』と実力のあるチームが出場していました。我々も大学時代に一線で活躍していた選手は多かったものの、チーム結成後間もなかったため、チーム力という点ではまだまだ他チームには及ばないと思っていました。

ただ、やるからには当然勝ちたいと思っていましたし、ここで勝ったら"サフィルヴァ"として鮮烈なデビューになるだろうとやってやろうという気持ちでワクワクしながら臨みました。勝てた要因としては、"挑戦者"というメンタルで挑んだことで萎縮することなくとても良い雰囲気で伸び伸びとプレーできていたこと。相手からしたら初見のチームのため、チームとしてのデータがなかったことなどが挙げられるかと思います。

特に、"雰囲気"についてはムードメーカーが数人いて、苦しい状況でもコートの外から大いに盛り上げてくれたことで終始良い雰囲気でプレーできたことが勝利に繋がったのだと思います。そして、そのチーム全体の雰囲気の良さというのはメンバーが大きく変わった今もサフィルヴァ北海道の大きな魅力の一つであり、今後も受け継がれていくであろう伝統であると思っています。

無名からの優勝は注目を集めるきっかけにもなって、バレー関係者のなかで知名度があがりました。競合チームから、自ら入りたいと移籍してくれる子が増えたり、大学卒業後の子が「サフィルヴァに入りたい!」と言ってくれたり、メンバーも集まりやすくなりました。翌年の2018年には初めて全国大会出場を果たし、2019年の3月には2回目の全国大会へ。そして、2019年の冬、念願叶ってVリーグ(V3)に参入することができました。

サフィルヴァでよかった、と思えるように。

発足から3年という短い期間でのVリーグ参入は、うまくいった方だと思います。もちろん、それまでには苦労もありました。特に発足当初はメンバー間の意識に温度差がありましたね。「上(プロリーグ)」を目指すために、僕としては定期的に練習したい。でも、なかなか練習に来ない、練習試合も人数ギリギリ、なんてことも。意識改革を促すために、ミーティングを設けたこともありますし、LINEで長々と文章を書いて送ったこともある。でも、僕が変えた、というよりも、チームの実力と実績がついてきて、徐々にメンバーの意識が変わっていきました。

まだチームが3人だった頃、僕は、「メンバーのことを大切にする」と決めたんです。キャプテンとして厳しいことも言ったりしたけれど、それはメンバーが「サフィルヴァでやってよかった」と思えるチームにしたいから。今も変わらない想いです。

写真後ろが、青島さん。今にもボールに向かってジャンプしようとする姿が凛々しくカッコ良い!
サンセリテ編集室
たった3人から始めた無名のチームが、たった3年でVリーグへ参入。なんだかドラマのようなお話です。成功の裏側には苦労もあったと思いますが、笑顔で楽しく話してくださる青島さんから、ブレない芯の強さを感じます。

さて、ここからは、小学校で働く「青島先生」の素顔ものぞいてみたい。学校では、どんな先生なんですか?

勝負の世界に、大人も子どもも関係ない!

学校での僕ですか?普段と変わりませんよ。器用な方ではないので、裏表をつくれなくて。先生の顔っていうことではないんです。今、こうやって大人としゃべっているテンションで、子どともしゃべりますし。劇的に変わる感じはありません。むしろ、先生っぽくない感じですかね。

休み時間もね「先生、遊んで!」っていうよりも、「自分が遊びたい!」っていうね(笑)。サッカーやったり、ドッチボールやったり。結構、本気でやります。勝負の世界ですから。大人も子どもも関係ないですよ!

でもね、一緒に遊ぶと良いことがあるんです。遊んでいるときに、教室では見えない顔が見えるから。たとえば、「物静かだけど負けず嫌いな一面もあるんだな」とか、「意外とこの二人は仲が良くないのかな」とか。「喧嘩したらひかない子だ」、「いつも遊びに来ている子が今日は来ない、何かあったのかな?」って具合に。最初に赴任した校長先生から、「まずは遊べ!お互い理解しあう意味でも遊ぶのが大事だから」と教わって、その教えを今でも守っています。

自然に囲まれた、ちょっと変わった学校です。

今、僕がいる小学校は「特任校」という学校で、自然とのふれあいをテーマにした小規模校なんです。札幌には4校しかなくて、自然に囲まれた場所にあって、自然を生かしたカリキュラム。敷地が広いので畑があって、年間を通していろんな農作物を育てたり、ちいさい天体望遠鏡があって、年に何度か子どもたちと天体観望会を行ったり。

今朝も、熊の目撃情報がありました!近くに石狩川があって、隣の当別町から川を渡ってくるんだそうです。そういう日は休校になったり、集団下校したりします。

僕のクラスは9人。全校の人数も少ないので、全員、顔見知り。学年問わず触れ合えるし、子どもたちとの距離が近く、一人ひとりとの関わりが深いですね。

学校で実ったメロンです。北海道の小学校らしいでしょう?

先生のこと、嫌いでもいいよ。

1年の最初にクラスのみんなに話すことがあります。僕のこと、好きならありがたいけれど、嫌いでもいいよ。人間である以上、相性が良くない人もいる。でも世の中に出たら嫌いな人とも付き合わなきゃいけないから、距離感を測りながら付き合う勉強だと思って、一年我慢してね、と。

そう考えるようになったのは、大学時代に「自分と未来は変えられるけど、過去と他人は変えられない」という言葉に出会ってから。もちろん言うべきことは言いますが、それをどう受け取って、変わるか変わらないかは、本人の自由。スポーツ選手の場合、自分の課題と向き合えるかどうかも実力のうちなので。

言うべき人、言うべきタイミング、いろいろとアプローチを考えてやってはみるけれど、「変わらないなら変わらないでいいや」と思うことは、自分の心を保つ上でも大事なことだと思っています。僕のなかに「無理にこうなれ」って相手を強制する意識はありませんね。

サンセリテ編集室
相手に変化を求めない。自分らしく、自然体で生きていく上で重要なことかもしれませんね。後半は、プライベートなお話から、サフィルヴァの展望まで。選手と教師以外の顔にも迫ります。つづく。


サンセリテ札幌はクラブパートナーとして、サフィルヴァ北海道を応援しています。

サフィルヴァ北海道:https://safilva-vc.com/

この記事を書いた人

外山 夏央

サンセリテ編集室統括局。新潟県生まれ東京都在住。1年の3分の1が雪に覆われる豪雪地帯で育つ。それゆえカラッと晴れた冬空の下で飲むビールが大好物。好きなものを好きなだけ食べて飲みたいがために、31歳にして初めて筋トレを始める。背中の贅肉とおさらばするのが今の目標。

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