人生交差点
メンズ美容の魅力を日本中に広めるぞ。前編
2022.11.02
ひょんなきっかけで思わぬ方向へ進んでいく。それが人生というものです。化粧品メーカーに勤めながら、モデルやインフルエンサーとして表現活動を続ける伊藤尚夢(なおむ)さん。表舞台で活躍することになったきっかけは、友達が内緒でコンテストに応募したことだったそう。某事務所のアイドルみたいですね!30歳を目前にこれまでに直面した「人生交差点」について、一つひとつ教えてくれました。
なんでも自分で選択できることが幸せだと言うけれど、本当にそうでしょうか。まわりの人の助言がきっかけで、新しいことを始めたり、自らの花を咲かせたり人は、案外多いんじゃないかな。伊藤尚夢(なおむ)さんもそんな一人。まわりの人たちの言葉を素直に受け入れたから、今があるのかもしれません。
「東京へ行きたいなら、勉強して」 by両親
中高6年間、頭の中はバスケットボールのことでいっぱいでした。結構、上手かったと自分では思っています。北海道代表として全国大会に出場したりもして。5時に起き、7時から朝練して、22時に帰ってくる、そんな生活でした。プロになりたい気持ちもあって、高3のとき北海道の大学からいくつか声がかかりました。でも僕はバスケがしたいのと同時に、東京に行きたかった。親に相談すると「東京の私立に通うなら、頼むから勉強して!」って言われたんですよ。進学してもプロになるのは難しいと感じ取っていたんでしょうね。卒業後の選択肢を少しでも増やしてほしかったのだと思います。それで僕、高校卒業後、2年かけて大学に合格しました。
本当にしんどかった。だって6年間、勉強を一切してこなかったんですから。まず、机に向かってじっと座っていることができなくて。まずは長時間、座るところから始めました(笑)。最初の1年で、6年分の基礎を取り戻して。2年目にやっと受験対策ができるところまで辿りつきました。最後は痔になりながら、必死で勉強しました。 受験勉強をすることになったきっかけは両親の助言だったかもしれません。でも、やらされ感はありませんでした。だって、「より偏差値の高い大学に行けたら、やりたいこと、やれることが増える!」って信じていたから。2年間の受験勉強を終えて「東京に行ける!」とわかったときは本当にうれしかったです。
「なおちゃん、大好き!」 by バイト先のおばちゃん
受験のストレスから解放されて、大学ではかなり楽しみました。6つもサークルに入ったら、お金がどんどんなくなって(笑)、これはまずいとバイトを始めました。そのバイト先での経験が今でも僕を支えています。
入ったのは50年続く老舗の焼肉屋さん。60代のおばちゃん2人で切り盛りしていて、地元の人からとても愛されていた。近所の方もよく食べに来て、「きみも飲みなよ!お肉食べなよ!」と可愛がってもらいました。
一人の友人を誘ってバイト仲間になったのですが、あるとき彼が、「僕、全然お店に馴染めないんだよね」って言うんですね。おばちゃんも、お客さんもみんな気さくで優しい人たち。「おかしいなぁ。なんでだろう?」と思って、バイト代をもらわずに友人と同じ日に働いて彼をサポートすることにしました。おばちゃんにも、お客さんにも「この子はこういう子で、とてもいい子だからよろしくね!」と紹介したくって。
その時、わかったんです。僕は、自分から声をかけて、自分から仲良くなるタイプだったんだと。人が好きで、誰とでも仲良くなれるのは自分の強みだと気づかせてもらいました。
おばちゃんたちからは「なおちゃん、なおちゃん」って孫のように可愛がってもらいました。サークルの後輩が作ってくれた僕宛てのメッセージ動画に、おばちゃんたちがサプライズで登場してくれたことがあったのですが。たった数年のアルバイトでも、家族のようなあたたかい関係を築くことができるんだとうれしかったことを覚えています。
「ミスターコンテストに応募したの、俺だよ」 by 友達
大学3年生のある日、1通のメールが届きました。それは、「ミスターサークルコンテスト」のセミファイナルの合格通知でした。友人に「これ見て。こんなメールが急に届いたんだけど。怖くない!?」と相談したところ「それ、俺が送ったんだよ。尚夢の写真とプロフィール。だから尚夢がコンテストにエントリーされているの」と言われたんです。「ええ!?勝手に送ったの!?なにやっているの!?」と驚きを通り越して呆れてしまいました(笑)。
友人いわく「もしも尚夢が最終選考までいったらおもしろいと思ったから」とのこと。「ミスターサークルコンテスト」というのは、日本中の大学生の中から、ミスターを決めるコンテストなのですが、一次選考も、準々決勝も、僕が知らない間に通過していたそうです。最終的に、15人のファイナリストに選出していただいたのですが、正直、最後まで何が起こっているのかわかりませんでした(笑)。
そもそもモデルやタレント活動に興味がなかったので、このコンテストへの出場がきっかけで人前に出るようになりました。今、こうしてモデルやインフルエンサーといった表現活動を行っているのは、友人のおかげと言えるかもしれません(笑)。
「ものづくりって楽しい!」 by 自分
「表現活動を続けたい」と思えたのは、とある舞台で主演を務めたことがきっかけかもしれません。大学4年生のことです。もちろん演技なんてやったことありません。しかも、やんちゃな青年役で、泣くときは泣くし、怒るときは怒る、感情を0から100まで幅広く演じなくてはならない難しい役どころでした。
それは大変でしたよ。演技の基礎を知らないから、稽古が終わったあとも一人残ってめちゃくちゃ練習しました。それに加えて主演ですから座長として舞台全体をとりまとめていかなきゃいけなかった。初心者の自分が経験ある役者さんの足を引っ張ってはならならいと、自ら声をかけ、関係性を築いていきました。「しっかりしなくちゃ」というプレッシャーがありました。
今振り返ると、本当にいい経験をさせてもらいました。いろんな人が力を合わせて、お客さんのために「どうしたら最高の“ものづくり”ができるのか?」を考え抜く面白さを実感できたからです。「自分をものづくりの“素材”としてどう使ってもらえるか?」という視点も持つことができました。
演技はもうやらないのかって?一発目の主演舞台があまりにもプレッシャーの大きい仕事だったので、もういいかなと思っています(笑)。その後も、舞台やドラマのお話をいただいたりしましたが、丁重に断りました。ものづくりは大好きですが、演者という「素材」以外にもものづくりに携わる方法はいろいろあると思っています。
さて、そんな伊藤さん、大学を卒業した後はどんな進路を歩んだのでしょうか?実は就職活動でも一波乱があったようで…。その辺は後編で聞いてみましょう。つづく。
外山 夏央
サンセリテ編集室統括局。新潟県生まれ東京都在住。1年の3分の1が雪に覆われる豪雪地帯で育つ。それゆえカラッと晴れた冬空の下で飲むビールが大好物。好きなものを好きなだけ食べて飲みたいがために、31歳にして初めて筋トレを始める。背中の贅肉とおさらばするのが今の目標。